Profile

 ・1970年 第2回シャギーカーペット展 入選
             故・岡本太郎氏選考 日本橋三越(東京)
 ・1971年 第31回美術文化展 入選
             3月 東京都美術館、京都美術館
             4月 大阪市立美術館、愛知県美術館
             5月 富山県民会館 にて巡回展
 ・1973年 第1回宇治市民美術展 宇治商工会議所会頭賞
 ・1990年 第11回フィナール国際美術展 入選
             12月 銀座松坂屋 カトレアサロン(東京)
 ・1991年 「月刊美術」7月号(第190号) 作品掲載
 ・1991年 第6回サロン・ド・フィナール展 出品
             6月〜7月 ギャルリ フィナール(東京)
 ・1991年 第12回フィナール国際美術展 入選
             12月 銀座松坂屋 カトレアサロン(東京)
 ・1992年 「月刊美術」7月号(第202号) 作品掲載
 ・1992年 第7回サロン・ド・フィナール展 出品
             6月〜7月 ギャルリ フィナール(東京)
 ・1992年 第13回フィナール国際美術展 入選
             12月 銀座松坂屋 カトレアサロン(東京)
 ・1993年 「月刊美術」7月号(第214号) 作品掲載
 ・1993年 第8回サロン・ド・フィナール展 出品
             6月 ギャルリ フィナール(東京)
 ・1993年 第14回フィナール国際美術展 入選
             12月 銀座松坂屋 カトレアサロン(東京)
 ・1993年 「月刊美術」6月号(第225号) 作品掲載
 ・1994年 第9回サロン・ド・フィナール展 出品
             5月〜6月 ギャルリ フィナール(東京)
 ・2000年 「三人展」 開催
             3月〜4月 ギャラリーいちゆう(京都)

 ・元 サロン・ド・フィナール会員、 現在京都府在住
 ・短期大学音楽学科ピアノ専攻卒業
 ・中学校教諭、小学校助教諭、調理師免許状所有
 ・眼科検査員(OMA)、第4級アマチュア無線技士

 

作者近影
フィナール国際美術展
サロン・ド・メ 選考委員の方
から批評をいただきました。

11th
第11回 「自己発見への旅」

12th
第12回「月面旅行」

13th
第13回「森を飛ぶ鳥」

Fine Art and Kumiko

 「フィナール国際美術展」は、招待制をとっているために、ヨーロッパ以外の国からの出品が困難だったパリの「サロン・ド・メ」への日本で唯一の窓口として、1981年以来東京で開催されている公募展です。私の作品を出品する際に、「フィナール国際美術展」を選んだのは、ピカソとミロが死去するまで毎年出品し続けた唯一の団体展として知られていることや、如何なる権威や因習にも囚われない、豊かな個性の自由な発表の場であるという理念を持つことに惹かれたからです。
 初めて出品した第11回から4度続けての入選は、とても嬉しいことでしたが、その後の出品はできずに過ごしています。今でもフィナールへの思いは熱く、機会があればまた是非出品させていただきたいと考えています。


Kumiko's Painting

 小学校に入る前から、気がつけば絵を描いている自分がいました。フェルトペンや絵の具を手にし、描き出すと時間が経つのも忘れて描き続けるのが常でした。
 毎晩、寝る時に目をつぶっている瞼の裏に、大都会のネオンのような、クリスマスのイルミネーションのような、あらゆる色の光がピカピカと現れるのです。それは私にとって、とても楽しいひと時で、嬉しさに溢れていました。どうすればその「ピカピカ」を長引かせられるのか、目に力を入れてみたりもう1度目を開けては閉じてみたりするのですが、たいてい願いは叶わず、たった1度のチャンスでした。そして、「ピカピカ」がサァッと消えてなくなった時、私の脳裏に、絵のもととなるイメージの原型が浮かんできます。
 私は、そのイメージの中に入り込み、たとえば、目はこう、鼻はこう、髪の毛はこう……と確かめながら、眠りにつくのです。その時に見るイメージの原型は、私にとっては完璧なもので、その時に描けば100%近い作品ができるのでしょうが、悲しいかな小さな子は眠らなければならず、次の日に起きて描いても、どうしてもイメージ通りには描けません。私の技術が未熟なこともあって、「ピカピカ」の後に見た完璧なイメージから見ると、よく描けたと思っても、せいぜい8割程度でした。
 絵の中の色は、この色はここ、あの色はここ……と、自分の中で完璧に決まっています。絵に色を塗った後で、「あぁ、しまった、この部分のこの色は間違いだった」と思ったことはほとんどありません。また、たとえばブルーはきれいな色だけれど、だからといって空は青とは限らないし、だいたい人間の目は両目が同じ色だけれど、私の描く絵の人間の両目が同じ色とは限りません。人間の口は、横長についているけれど、それは実際の「つくり」のことであって、私には関係がないのです。
 私にとって、自分の描いた絵に対する愛着は強く、小さな頃は、誰かにあげるということを自分の手足をもぎとられるも同然に感じていました。いくら、当時高価だったカメラを買ってあげると言われても、大好きな人に「描いてちょうだい」と頼まれても、悲しくて辛くて、「うん」と言うことはできませんでした。しかし、今では、シルクスクリーン等、優秀な印刷方法が発達してきたこともあり、私の絵を愛して下さる方に、今後様々な方法でお手元に置いていただくことが可能なのではないかと考えています。
 インターネット全盛の現在、ホームページを通じて私の作品を広く万人にご覧いただけることは、最上の幸せです。今後、見ていただけることを励みとし、過去の作品を掲載するだけにとどまらず、新しい作品の制作にも取り組んでいきたいと思います。ホームページへのご来訪、並びに拙文を最後までご通読下さいまして、ありがとうございました。


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